マニラE通信27号 12月27日
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パヤタスのごみ山で働く |
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12月27日 パヤタスは第2のスモ―キーマウンテンと呼ばれるごみ山のあるところ。スモーキー・マウンテンは80年代、マルコスからアキノ、ラモス政権時代に至るまで強制撤去、その失敗が繰り返され、国際的な注目を浴びながらやっと閉鎖になったという経緯があります。わたしも一度訪ねたことがありますが、“ごみも積もれば山となる”で、高さ40mほどの山。ここを覆った土砂に草が生えて一見、緑なのですが、そのひどい悪臭が前歴を示す動かぬ証拠となっていました。パヤタスはそのスモーキーが閉鎖する前後から、大量のごみが積まれてきたところです。マニラ首都圏のケソン市にあるこのごみ山は古いほうが、2000年の崩落事故で200人もの死者を出して閉鎖し、現在は新しいほうの山が“稼動”しています。山の広さは約9?、高さは32m。古いものより一回り小さいものですが、毎日500台のトラックで約7000立方メートルのごみが、ケソン市内から運びこまれています。
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フィリピンの“不名誉”な名所となっているパヤタスのごみ山は、ここだけでフィリピンを語ることはもちろんできないが、ここを抜きに語ることもできないという大変、意味の深い所といえます。 日本からフィリピンに来る人の中で学生やNGO関係者さらに政府高官やファーストレディも含めて、訪問希望が絶えないそうですが、セキュリティなどで実現しないケースもあるとか。
クリストファー君(15歳)はこちらでいう高校2年生。初めて会ったときは小学校の5年生でまだあどけない感じでした。そのころから、算数が大好きで、ソルトの補習クラスにも必ず参加していたと聞きました。5人きょうだいの下から2番目。母親を早くに亡くし、単親家庭でお父さんが病身ながら一身に子どもたちの世話をしていました。クリストファー君のお兄さん(20歳)がスカベンジャーで、毎日ごみ山に出て稼いだ1日60〜90ペソで一家は生計をたてていましたから、子どもたちの学校はどうしても二の次になっていました。それでも、きょうだいの中で一番勉強の好きなクリストファー君の望みをかなえたいと、お父さんはソルトに学費支援を申し出て、奨学金を受けていました。わたしが彼の奨学金を担当するようになったのは、彼の何人目かのスポンサーのあとだと思います。 クリストファー君は、小さい時に病気で左脚をなくしています。松葉杖を巧みに使いながら舗装もない狭い、坂の多いダンプサイトの道を歩いていました。高校に通うようになっても、1日も学校を休まず、成績も優秀で、毎年スポンサーに送られてくる成績表(進級証明書)を見ると、各科とも80点以上の「よい」、5段階でいうと「4」がほとんど。将来はエンジニアになりたい、と言っていました。
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おとうさんは、ごみ山から離れた住まいになって、簡単にごみ拾いができないことを少々残念がっていました。修理屋の看板を出して、扇風機、傘や靴などを修理するささやか商売を始めているのだが、ほとんど道具もなく、お客さんも来ないようです。スカベンジャーをしていた長男もいまは、ペディカブという“サイドカー付き”自転車漕ぎをしてお客さんを運んでいるが、自転車の借り賃を払うと1日で稼げるのは40ペソとわずか。それも毎日は仕事がないといった状態です。
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