さて、次の写真は・・・ ラップでくるんであるのは出前のランチ。メニューは野菜炒めに鶏肉を調理したもの、そしてご飯。勤め人にとってはごく普通のランチ定食で40ペソ(約80円)だが、注目していただきたいのはフォーク&スプーンのほうである。そして、伝統木工品のひとつ、木彫りの壁飾り。こちらはフィリピンの家庭の居間ではよく見かけるものだが、これもスプーンとフォークである。
そこで、今回からフィリピン暮らしの必須アイテムというのを紹介してみたい。必須具合はわたし流の尺度ではあるが。今回はその1として、スプーンである。
少し前に、いっとき、新聞などを賑わした話題のひとつにスプーン論争というのがあった。曲げたり、宙に浮いたりする話ではなく、食事マナーにまつわる話題として浮上したのである。
発端はカナダ・ケベック州。フィリピンからの移住者も多いこの都市にある小学校に通う9歳になるフィリピン人の男子が、カナダ人教師から何度も注意されたにもかかわらず、食事時にフォーク&ナイフではなくフォーク&スプーンの使用を固持したために、“ブタ食い”とあらぬ非難を受けたのである。かつて、“イヌ食い”というのもあったがいずれにしても動物には失礼な話である。
つまり、大変な“マナー違反”の食べ方として酷評されたのだ。これに対して、在カナダフィリピン人社会は黙ってはいなかった。自分たちの文化への侮辱、差別として猛反撃にむかい、あわや国際問題化するかにみえたが。
しかし、その後はどうやら落ち着いたらしい。というのも、異文化・多文化社会の中で生き抜くのはむしろフィリピン人の特技ではないか。移民、海外労働などあわせて人口の1割にも及ぶ800万人が海外生活を送っている国民としては、移り住んだ先々で、寛容に、臨機応変、工夫を重ねながら、郷に入っては郷に従う、を自ら実践してきたお手本のような存在だからこそ、こんなにも海外で受け入れられているのではないか。自国の文化への誇りを持つとともに国際人としても通用する教育こそ大事である。等など冷静な見方が主流となったようだ。
確かに、初めのころはわたしも戸惑った。ナイフがナイではないか、すいません、ナイフを・・・ フィリピン料理のレストランなどで催促したこともあった。スープや汁物がないのにスプーンというのには、違和感すらあった。しかし、考えてみれば箸を器用に使いこなし、食べ物の形状にかかわらずほとんどこの二本流で、食べ物を口に運んできた長い経験に即していえば、なぜフォーク&ナイフだけが並ぶのか、という反発は理解できる。手で食べる、つまり指を使って食べるという文化も長い伝統を持っているのである。
ある解説によれば、フォーク&ナイフ文化圏ではそもそも、食べるための道具として工夫されたのがスプーンであり、その後発組がフォークであり、フォークのほうは、11世紀ごろ中東から南ヨーロッパに渡ってきたというのがわかっているらしい。しかしナイフは、もとが武器であり、狩猟具であり、獲物をさばく道具として開発されてきた。今でこそ、食卓の右側に上品におさまっていても、平和的でない危険な過去の姿が時折り、刃先にちらつくことは免れないだろう。
そういえば、機内食では、すでにナイフはその危険性を排除するためにプラスティック製に代わっているが、そこまでして切りたいものが、メニューの中にあるかというと、疑問である。いっそのこと、ナイフをはずしてもいいのではないかとも思うが、そこはやはりナイフを使う人たちのこだわりかもしれない。
米を主食とし、魚介や野菜に多くの食材を頼っているアジアのような食材圏では、スプーンやフォーク、箸のほうが使い勝手がいい。スプーンはフィリピンの必須であるとともに米を食べるアジアの必須でもある。
このスプーン論争の中で、一番的を射っていたのが、スプーンやナイフの違いを超えて、食べるときのマナーのことであった。たとえば、食器の音をたてて食べないこと、食べ物を口に含んで話さないこと、肘を付いて食べないことなど。また、憂うべきは、ファーストフードのようなお手軽な食べ方や紙食器などの使用で食べる行為自体がおろそかにされていることだ。
そういえば、スプーンを匙、おさじ、と言っていた頃を思い出す。また、何事も、“匙を投げる”ことのないように、やり遂げることも、ここでは必要かもしれない。
次は7月30日ごろに掲載予定。
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