マニラE通信19号 3月1日
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2006年は・・・ |
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2・26−2月26日はちょうど、出張中でした。マニラから車で7時間、山岳地帯の中心地・バギオで行われるワークショップの開会式に参加するためでした。 20年前の1986年2月25日は「ピープルパワー革命」の成就した日でした。人々が戦車を囲み、武装する兵士を説得する姿を当時、新聞やテレビで見ていて、本当に感動的でした。しかし、20年後反アロヨ派の集会とデモ、それを力で押さえ込むアロヨ政権そして通常の週末を過ごす人たち、と分断の構図になっています。
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2006年はわたしにとって節目の年。元気の出る話でこのページをスタートしたいと思って 仕事の面では、担当プロジェクトの初期段階では、まったく受け入れてもらえなかった提案を、それでも、諦めずに、短気を起こさずに何度も提案しているうちに、近頃やっと、徐々に、実現・実施の運びとなってきました。押したり引いたりとパワーを配分しながら、相手方との価値観の違いを認識することが大事なのでしょうが、効果のある援助というのは、力仕事であり、時間がかかることを実感しています。 それにしても、この国でも次々と事件や事故が起きています。 実は、この惨事の前にもうひとつ、大きな事故がありました。2月4日、マニラの大きなスタジアムで起きた将棋倒しによる圧死事件。死者74人、負傷者500人以上というこの事件、亡くなったのはほとんどが女性、それも50〜70代と中高年でした。数日後、出勤前に現場に行ってみると、献花があり、報道車が1台、そして数人の女性がろうそくを囲んでいました。その中のひとりが涙声で訴えていました。後方からどんどん押されて次々にまわりで人が倒れて・・・、彼女は辛うじて一命をとりとめることができました。 それにしても、なぜ女性たちが、・・・。事故直前まで、列の前部には早く到着した多くの女性たちが忍耐強く並んでいたとも聞きます。お弁当、着替え、シートなどを持参して。 |
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