HDM テクノロジー会社は 1986 年、 HDM オートメーションセンターとして出発したのち、 1996 年に株式会社になります。 HDM とはヘクターさんの名前の頭文字からとったもの。現在資本金 200 万ペソ、社員は 76 人です。中小企業の区分で言えばスモールビジネスの規模です。HDM社は半導体メーカー国内約 400 社のうちのトップ 10 に入る規模と実力だそうです。おもなお得意さんはラグナ経済特区内にある日系企業などの電子機器メーカーなど。
昨年、フィリピン中小企業開発庁が作成した 2010 年までの中小企業開発計画によると、国内企業の 99% 以上を占め、雇用の 70 %近くを吸収する中小企業に対する支援の要は、融資の改善にあるといいます。迅速で高品質な生産を誇るHDM社としても、今後の設備投資に備えて中小企業向け融資の拡大を期待しています。最近彼が入手したフィリピン開発銀行の製造業向けの新融資プランでは、単なる資金の貸付だけではなく、ビジネス診断なども含んだ中小企業への助言、援助をはっきり打ち出した融資が示されています。そしてその“診断チーム”はフィリピンだけでなく日本の技術者、専門家も含めて構成されており、問題解決の相談にのってくれるとのことです。
ヘクターさんの事業はいま、低成長期からなかなか抜け出せないジレンマをかかえています。
今の会社を起こすまでは、大手の電機工場で働いていました。しかし、会社倒産、工場閉鎖であっという間に 8000 人近い従業員が解雇され、彼もそのひとりでした。 12 年間勤めたその会社では、しかし幸いにも日本の電気メーカーなどに技術研修に行く機会がありました。そこで学んだのは生産技術だけでなく施設管理、人事、従業員教育など企業のマネジメント、これがのちに大いに役立ちます。品質と納期を守るためには徹夜の残業もいとわないというものづくりマインドは、これまでヘクターさんが経験したことのない仕事観でした。 失業直後から、ヘクターさんは、これまでの経験を活かして自ら半導体メーカーを立ち上げようと奔走しました。手元の資金はわずか 1 万 5000 ペソ。
半年後には自宅 1 階の小さな工場で機械が動き始めました。 2 年後には、早くも大きくブレイク、日本の精密機器メーカーからの注文が相次ぎました。
急きょ、 24 時間営業、これまでの知己を頼って 30 人を雇用し、注文に応じていきました。睡眠時間は平均 3 、 4 時間。こうして、HDM社は好調に伸び進み、 1996 年に株式会社にステップアップします。翌年のアジア通貨危機の際も幸いなことにフィリピン自体が最小限度の打撃で済みました。
最大の難関となったのは 2 年後、いわゆる“ 2000 年問題”。世紀の変わり目に起きるであろうコンピューター機器のトラブルを見込んで大量に生産した関連部品、結局は在庫過剰となって動きが取れないでいるうちに、今度はフィリピン経済が下降して、さらに、市場が中国へと移っていくことになりました。「まったくあれ以来、だめだな。」ヘクターさんはぼやきます。
いまは 1 日 10 時間くらい働き、週 6 日は仕事です。会社の敷地はいまでは自宅とは切り離しましたが、道ひとつ隔てた向かい側にあります。半導体部品の生産を主流に、包装材の生産も手がけています。
彼自身の収入は、月にして 3 万ペソ。1 日 10 時間、週 6 日の仕事です。
|